【なごちゃんの温故知新?】第2回 開発環境、島流し、徒然なるままに【後編】 

前回、長くなってしまった為、今回は前回の続きで島流し後編です。 

さて、ビール飲んでオフィス内でのBB弾シューティング、そしてプリンター用紙と飲み物差し入れが4週間目に入ったころに、ヘンク社長(初回コラムに登場してます)がハワイにきて、開発の進捗を確認したのですが、完成のめどがたたなそうとのことでオアフスタジオはクローズすることになり。。。 

まぁ僕も完成というゴールは全く見えなかったので、スタジオクローズもやむを得なかったかと。 
そのおかげというとなんですが、、、4週間目にようやく帰国の途につくことができました。 

帰国前2日間、ようやく休みが取れ、一人でビーチに行って暴れ(まぁいわゆるナンパというやつです)、まだスタジオクローズがアナウンスされる前に、ハワイの現役軍人とのサバイバルゲームをやり(こてんぱんにやられましたw)、レンタカーでハワイ一周し、断崖絶壁から海に飛び込んだりと、凝縮した二日間でした。 

サバゲーはやばかった。こっちはもちろんゲーム前提なのでうきうきとサバゲーする場所に行き、対戦チームと顔合わせしたのですが、見た途端に、まじかよ・・・、と。。。 
全員迷彩服はもちろんのこと、顔にも迷彩ペインティングしてるし、もう本職むき出し。 

でもゲームだし、やるか、ということで対戦開始。 

相手を全滅させるかフラッグ的なものを奪えば勝ち、みたいなルールだったと思うのですが、まぁ相手が一人も見えない。。。なにしろ本職なので完全にアンブッシュ状態。 

僕なんか、中腰でゆっくりと草むらをかきわけながら進んでいたら、突然目の前に、ばっと立ちはだかった巨体が現れ、銃口はすでに向けられた状態で、すかさず撃たれ、何もできずに即死w。 

他の人もほどなく撃たれ、早々にゲームオーバー。 
いやー、本職の人はサバゲー禁止w。でも面白かった思い出です。 

開発が順調だったら、今頃ハワイに帰化してたんだろうな、きっと。 

サバイバルゲームの場所へ向かう前のショット。一番右が僕、左から2番目がヘンク社長です。

 でもその片道切符ハワイ出張のおかげで、全くしゃべれなかった英語が、ハワイスタジオのスタッフ3人と会話するにも必要、ご飯を食べる為にも英語必須、ということで、サバイバルの為に辞書片手に必死で単語を最低限覚え、少しは英語ができるようになったことは思わぬ副産物でした。 

当時のハワイスタジオはダウンタウンだったので、日本語が通じるお店や売店がなく英語オンリーだったのも今思えばよかったのでしょう。 

毎朝、オフィスのすぐ近くにあった、駄菓子屋のようなミニ商店(コンビニの超小さいやつ)でゲータレード(体に悪そうなスポーツ飲料)を買いに1週間くらい通ってたら、売店のおばちゃんから話しかけられて、超どきどきしながら英語で返事したら、無事通じた! という喜びの記憶も。 

まぁ、どこから来たのと聞かれて、日本って答えただけですけど。。。 

こんなハワイ島流しも、今思えば懐かしい思い出ですが、なんとなくその頃の大変だったイメージが印象に残り、いまだにハワイと言えば島流しをすぐ連想してしまいます、はい。 

CRETAはグローバルにグループ企業があり、弊社日本のCRETA、ヨーロッパ、シンガポール、ドバイ、韓国など、いろいろな国にオフィスがあります。普段は英語が使えますが、やはり韓国語もできたほうがいいよね、ということで現在週一回、韓国語の授業を受けてますが、これがなかなかきついw 
先生がスパルタでw 
授業のスピードも速くてw 

w使ってますが、実際は「泣」「(´;ω;`)」みたいな感じでして。 

授業で使用している韓国語のテキスト 

ハワイ島流しの時のような生存の危機はありませんが、予習復習しないと授業についていけないので頑張って韓国語勉強中です。 

ブロックチェーンゲームはPlay to Earnからスタートした、ということもあって、ゲームで生計を立てることができるということで東南アジアが盛り上がってますし、韓国も我々グループだけでなく、他社もブロックチェーン関連に力を入れ始めた会社も多く、最初からグローバルを意識する市場環境なので、日本語、英語以外の言語も覚えたいですねー。 

さて、4週間ぶりに帰国できたわけですが、Moonstoneプロジェクトは日本で開発を引き継ぐこととなり、ヘルプでハワイ島流しされた僕が担当するべきだったのでしょうが、なんと僕はBPSを退職し、他のゲーム開発をフリーでBPSから受託するという道を選んだので、Moonstoneは他の方が引き継ぐこととなりました。 

もう一人のプログラマと共同でゲーム開発を受託し、半年くらいで作り上げたのですが、完成した際にまぁいろいろあってパートナー解消し、さてどうしようかな、という時にBPSに出戻ることとなり、戻ってからPCゲームを1本作りました。 
これは結構時間かかったな。10ヶ月くらいかかった記憶があります。 

85年に入社してから3年くらいで、ゲーム3本、社内グラフィックエディター1本、ヘルプ1本(これがMoonstoneです)作ったのち、ファミコンのゲーム開発をすることに。 

この間、PCのゲーム開発環境はそれほど進化せず、グラフィックエディターは社内用だったこともありBASICで3週間くらいで作りましたが、他はすべてアセンブラという状況は変わらず。まぁ、8bitのZ80というCPUのPCですから、C言語使うとやはりスピードが遅くなってしまうので、C言語習熟はしたけど実際には使えず、という感じでした。 

ファミコンも6502という8bit CPUなので、必然的にアセンブラで開発するということですが、当時数百万円する開発機材と、これまた数百万円するグラフィックエディター専用機材などが必要で、ファミコンの開発環境を用意するのも結構お金がかかったものです。 

ということで、次回はファミコン開発、そして中止、ガラス破壊とかのお話を。。。