【なごちゃんの温故知新?】第9回 そしてレッドへ <前編>

BPSを退職することになった時、ありがたいことに複数の会社から転職のお誘いをいただけました。その中で、レッドカンパニー(現レッド・エンタテインメント)以外の会社さんは、過去の経験を活かした仕事ができそうだと感じたのですが、レッドカンパニー(以下、レッド)だけ、どんな仕事をするのか良く分からないw

第5回のコラムでも少し触れましたが、BPSの開発部時代の終わり、レッドと共同でゲームの開発を立ち上げる話をしていた直後に営業部に異動。その後のレッドとのお付き合いは3か月に1回程度、夕方レッドに行き、ご飯を食べてからの徹夜麻雀。当時レッドには全自動麻雀卓があったのですよ。
で、麻雀をやりながら、BPSとの仕事の愚痴とかを聞いてガス抜きしていた感じでしょうか。BPSとの具体的な仕事内容とかは開発に関わっていないので相談にはのらず、会社としてのお付き合いの親睦を、営業部として深めていた感じですかね。もちろん純粋に麻雀も楽しんでいましたがw

で、レッドに訪問するたびに、キャラクターが描かれた絵が社内のあちこちに貼られていたり、フィギュアがいろいろ飾ってあったりしたので、キャラクターで何かのビジネスをやっているのだろうな、くらいに思っていた程度です。
BPSとの共同ゲーム開発でもシナリオとキャラクターの絵を提供してもらっていたと思います。

その程度の理解でしたが、転職のお誘いをいただき、どんな仕事をやることになるのかという話を伺った時のキーワードが、キャラクターの口癖、好きな食べ物、趣味とかがあるキャラクター達が、ゲームの中で生活する、とか、世界観が大事とか、そもそも世界観って何? という疑問もあり、自分が今まで経験してきたことではないので、理解が及ばず。。。
かつ、大真面目に語っておられ、理解できない不安より、どんなビジネスでどんな仕事を僕はやることになるんだろう、という好奇心の芽がむくむくと育ちw、もうこの会社をのぞいて見なければ理解できなさそうだ、という思いがあまりに強く、1時間のレクチャーののちに入社を決めました。
この時にいろいろレッドやキャラクターのことなどを話してくれた方が、今まさに「東亰大戦」で原作を手掛ける広井王子さんでした。

25年前の広井王子さんとなごちゃん

余談ですが、広井さんは当時麻雀が神がかり的に強くてw
ある時、僕がちょうど電話をしながら麻雀を打っていた時に、サングラスをした人がふらっと麻雀部屋に入ってきました。それが広井さんとの初の出会い。
で、広井さんだということも知らず電話中だったこともあり、こくりと頭を下げて挨拶しつつ、引き続き電話で話をすませ、電話が終わるころに、広井さんがレッドのメンツ一人と代わって麻雀に参加されました。
麻雀中ということもあったので挨拶もそこそこで、麻雀のラウンド開始。
で、今でもはっきり覚えていますが、12巡目くらいに、広井さんが「自摸(ツモ)、メンピン三色ドラ1、満貫ね」と。。。。
颯爽と来て、颯爽と勝って、颯爽と立ち去って行きましたw
なおこの時の僕が、電話片手に挨拶しやがって、なんて生意気な奴だ、カチンときたと、いまだに言われ続けております。。。

そんな出会いの広井さんの会社に無事入社することになりました。
ちなみに、お声がけいただいた会社さんの中で、レッドの給料が一番低かったのですがw、レッドを覗いてみたいという好奇心には勝てず入社。そして、今でも広井さんとの関係は続いており、現在の「東亰大戦」へと繋がっています。
まさに縁(えにし)。

入社を決めた後に待遇(給与や肩書)を聞き、特に交渉もせず、入社日だけ相談しました。
というのも、前からやりたかったことを実践する為に、レッド入社まで1か月、間をあけたかったのです。
そう、タイトルにある「パチプロ実践」です。

次回、パチプロでメシは食えるのか?


>そしてレッドへ 後編