【なごちゃんの温故知新?】第6回 営業部門で四苦八苦

まずは定例社内親睦会の模様をお届け。
今回はBBQです。

運河沿いで気持ちのいい場所でのBBQ。

焼き奉行。

ひとしきり食べて飲んでみんなご満悦。

いい大人が線香花火に夢中です。

さて、前回からの続きですが、1993年にジョブローテーションという施策の一環で、全くの未経験だった営業部の責任者をやることになってしまったお話です。

もともとプログラマとしてゲーム業界に入ったので、営業の仕事をやるはめになるならさすがに転職するか、と考え、当時の先輩に飲みながら、会社やめようと思っているという話をしたら、未経験で営業責任者をやりたいと言ってもそんな機会は二度とないだろうから、やるだけやってみて、少しでも経験してからやめればいいじゃない? 営業経験のある開発プロデューサーはめずらしいでしょ、と言われ。。。
ほぼ辞める気でいた自分が、この話を聞いてやたら納得し、まずはやってみるかということで、転職は保留してまずは営業をやってみることにしたわけです。
今思えば、これは人生でも得難い経験だったので、先輩には本当に感謝です。

とは言っても、右も左も分からないので、まずは基本的な営業活動についてひととおり前任者からヒアリング(前任者もジョブローテで他部署に異動した方ね)。
この時の自分の理解は、問屋さんへ伺って商品説明して注文を集める、みたいなw。
習うより慣れろですが、とにかく実践ということで、部署異動早々に問屋さんに初訪問。前任者と一緒に担当者変更と引き継ぎ営業に行きました。

ここで補足しますと、当時初心会という、任天堂商品を扱う一次問屋さんが25社あり、その下に数十社の二次問屋さん、その先が小売店さん、という流通の仕組みになっていました。BPSの営業担当は僕含めて4人で、一次問屋さんと主要二次問屋さんへのルート訪問営業を行っていました。
前任者も僕も責任者という立場なので、担当営業先は一次問屋の十数社で、北は北海道の札幌から、東京、名古屋、大阪、京都と点在しており、ほぼ毎月出張に行くことになるわけです。

さて、初の問屋営業は大阪の某問屋さんから。
ここの問屋さんは3年後にBPSを辞める際にうちに来ないかと誘っていただいた問屋さんで、3年ものあいだ営業で訪問させてもらい、非常に懇意にさせていただきました。カラオケとか一緒にいったなぁ。
が、初営業かつ初訪問なもので、例えば商品案内前の枕詞で、前任者と商談相手で話している業界話が全く理解不能w。ちんぷんかんぷん。なにを語ってるんだこの人たちは、みたいなw。
いやー、この時は隣で知ったか相槌をうちながら微笑しつつ、わきの下に汗かいて、次から俺一人で来てどうすんだ? 状態。
わけもわからない初営業終了後に前任者に何言ってたのかさっぱり分からんと言ったら、そのうち分かるから大丈夫だって。。。。不安しかないんですけどw。

といった感じで全国営業も終わり、会社で受注締め切り日に各一次問屋さんからの注文FAXを待って、受注数を集計してBPを更新、注文が予想より少ない問屋さんには電話でプッシュ、そして注文締め切って任天堂さんに商品製造発注。
その後、問屋さんから直送リストなるものをもらい、商品の配送手配業務、そして商品納品、直送リストに従って配送、と一回の営業サイクルが終わったわけです。

この時に、例えば直送リストとか、なぜ問屋さんがやるべき配送仕分け業務をメーカーが代行してやるんだろう、とか、ピュアに疑問に思ったのですが、ただ右も左も分からない状況だから、何かまだ知らない事情やあるいは契約とか、何かあるのかもしれないので、ここでは特に何も言わず、とにかくルーチンを一通り覚えることに注力しました。

ということで引き継ぎは終了し、次回からはいよいよ単独営業開始ということで、
次回は「素人営業が徐々に成長??」