【なごちゃんの温故知新?】第2回 開発環境、島流し、徒然なるままに【前編】 

いまや成熟産業として大きくなったスマホのソシャゲ市場。いわゆるカジュアルゲームではなく、RPGやシミュレーションなどリッチな見た目と高水準なゲームプレイを実現するゲームを開発するとなれば、もはや1億以下で作ることなどできず、10億以上かかることが普通だよね、みたいな状況になっています。 

僕がゲーム業界に足を踏み入れた1985年は1億円かけました、なんてゲームは皆無。開発チームも数名とか。 

現在では50人とかそれ以上とかざらにあるようです。 

開発環境も、いまやゲームエンジンやライブラリも揃い、統合開発環境といえるリッチな開発環境で、プログラミングテクニックではなくゲーム企画や仕様、ビジュアルデザイン、ゲーム性など、よりゲームの本質に近いところが問われますが、当時はプログラム一人でとか結構普通だったりするので、貧相なエディターでしこしこアセンブラを書いたり、BASICでもいかに最適化してメモリ節約するかとか、職人的なところで自己満足してました。 

コーディングそのものがゲームみたいな感じでしたね。 

当時のBPS社内風景。一番左にいるライオンヘアーが僕です。 

当時、僕が入社したBPSで「Moonstone」という、名作ブラックオニキスシリーズの3作目がハワイにあるスタジオにて開発中だったのですが、進捗が芳しくなく、入社してまだ半年の僕が、ハワイに開発を手伝いに行くということがありました。 

ハワイスタジオはプログラマ1人、デザイナー1人の2人がメインスタッフで、音楽は日本から提供するということで、3人で開発していたプロジェクトです。 

そこにプログラマだった僕がヘルプで参加することになったのですが、当時ハワイスタジオでプログラムはBASICで開発されていて、高速化が必要な部分をアセンブラ(機械語です)で組む必要があるということで、僕がヘルプで行くことになったようです。 

グローバルと言えばグローバルですけど、まぁそんな小規模で開発してた時代です。 

PC-8801というPC用に作ってましたが、PC-8801で完成した後に、他機種向けに移植する前提でした。 

NEC社製 PC-8801

 19歳の僕は海外出張どころか海外旅行未経験、もちろんパスポートなし、当時はハワイ行くのにビザも必要ということで、急遽いろいろ手続きが必要だったのですが、行くことが決まって出発日まで1週間ちょっとしかなく、手続きがそもそも間に合うか、みたいな感じで。 

ビザが通常手続きだと間に合いそうにない、ということでヘンク社長と大使館へ直接交渉して早くビザもらおうということになり。。。普通の民間企業の仕事の都合でビザ取得を早める交渉とか、そもそもできるか分かりませんが、とにかく行こうということで。 

大使館について窓口の人に、ヘンク社長が開口一番、「こんちはー」って日本語で言った時に、ずっこけそうに笑いそうになったことを今でも覚えてます。 

そして、こんちはー、が効いたのか、ビザ取得を早くしてくれて、無事間に合ったんですね。何事も諦めず笑顔でこんちはーと挨拶することが大事だという教えです。 

10月頃だったと思いますが、ハワイはオアフ島に出張。ええ、その時は全く不安もいだかず、行きの航空チケットしかなかったのですがw 

片道切符で不安どころか、会社のお金で初の海外だ、と、アドレナリンだけが体中をかけめぐってました。 

で、オアフのスタジオで仕事をすることになるのですが、朝8:00にワイキキビーチ沿いのコンドミニアムを出発、夜20:00に戻って、また翌朝スタジオへ、ということを4週間休みなく繰り返したのですが、2週間目ごろになってようやく、あれ、俺いつ日本に帰れるんだろう、と思い始め。もっと早く気づけよ。 

スタジオで開発されてたプログラムが、よく言えばモジュール群でしたが、連結されたプログラムになっておらず、ゲームプレイは一切できないような状態でBASICプログラムで作られていたのですが、連結されていないのでどこまで動くのか、できているのか全く把握できず。 

当時は連絡手段がFAXと電話しかなかったので、ハワイスタジオの開発状況を日本側できちんと把握できておらず(というか、おそらくハワイスタジオは概念的に今でいうマネージメントされていなかったと思われます)、僕もスタジオに行って開発状況の説明を、辞書片手になんとか英語を聞いて状況把握して判明した感じ。 

開発が遅れていることはみんな認識してたとは思うのですが、18:00前になるとプログラマはビール飲み始め、デザイナーはサバゲーで使う銃を取り出してオフィスの中で撃ち始めるしでw、なかなかお茶目なスタジオですね。これではもう遅れを取り戻すことはできないばかりか、完成すら危ういんだろうなぁ、と思ったわけですが、ろくに英語もできないし、ヘルプでスタジオにきたので何か言える感じではなかったので、自分が担当する部分のプログラミングを粛々と作ってました。。 

ちなみにハワイスタジオには常駐ではなかったのですがスタジオボスみたいな人もいて、その人のあだ名がEvil one。イーヴォワン、イーヴォワンって聞こえて、何言ってんだろうみたいに思ってたのですが、確かに人相は悪かったw でも優しい人でしたね。 

プリンター用紙とか飲み物とか差し入れしてくれる人と理解してました。 

ということで、なぜか温故知新ハワイ編となってしまいましたが、続きは次回。