【なごちゃんの温故知新?】第8回 BPS編最終回、ソニー流通登場、そして退職。。。

まずは近況活動など。

WebX Tokyo視察。

ひろゆき氏の毒舌は絶好調。ここに集まっている人は全員情弱と言われましたw

公式サイドイベント、JAPAN Web3 Game SummitにCRETAはオフィシャルスポンサーとして参加

東京大戦の原作・広井王子氏のトークイベントに参加

さて、1994年にSonyはプレイステーションを発売し、ゲーム事業に参入。
これは業界が大きく変わるきっかけとなりました。
もう30年近く前のことなので、リアルタイムでプレイステーションを体験したことがない方も、Web3業界にいらっしゃるかもしれませんが、おしゃれなデザインに加えて、ゲームはROMからCD-ROMに変わり、そのおかげで製造リードタイムが短縮され、追加製造も小ロットで可能となり、流通形態が大きく変わりました。

今までの任天堂ROMカートリッジは、発注から製造・納品まで3か月、追加製造でも1.5か月程度はかかっていました。それが初回製造は10日、小売店からのリピート発注は4日程度となりました。Sony Musicと同じ流通(JARED社)を使っているので、音楽CDとほぼ同じ感じですね。

ちなみに、同じ年にセガから発売されたセガサターンもCD-ROMではありましたが、任天堂に近い流通形態だったので、営業活動的にはそれほど大きな変化はなかったように記憶しています。

Sony流通は、当時のソニー・コンピュータエンタテインメント社(SCE)が一次問屋的な感じで、中間流通を挟まずにSCEから直接小売店へ商品を卸すという方式です。全国2万近くあると言われたゲーム販売店へ、SCEが音楽流通を使って商品を販売するということです。

これにより、受注とりまとめの営業先はSCEとなりました。SCEと初回製造本数について話し合い、最終的にSCEから提示された本数=発注数がほぼ初回製造本数となるのですが、仮にこの本数が市場に対して少な過ぎるとしても、市場で足りなければすぐにリピート製造が可能なため、機会損失はほぼなくなりました。

別の言い方をすると、市場予測が難しいなかで、製造日数やリピート製造日数がかかることを理由にw、営業が商品説明やマーケティングプランなどを、各問屋さんに対して説明して受注本数をかせぐ、というこれまでのアクティビティ相手がSCEさん1社のみになったわけで、これにより、マーケティングは今まで以上に重要、また、とにかくリピート製造が早いので、数をかせぐ為の初回受注数上積みがほぼできないw、ということで営業的にはつらいw、と、当時の僕の営業はこのように変わりました。

そんな時代の変化もあり、1995年末、このまま営業を続けても先がなさそうだな、というのと、当時BPSが新規事業で携帯FAX販売という事業に手を出し、見事に数億の赤字で、ゲームで稼いだ利益をすべてもってかれるという、厳しい状況でw
また、もう亡くなってしまった方なのですが、当時の専務とそりがあわず、まぁ3年営業も経験したし、そろそろゲーム作るところに戻るかということで、退職を決意しました。

で、年が明けて1月末に退職届を専務のところへ出しに行ったのですが、その時になぜ辞めるんだと聞かれ、ついうっかり正直に専務と一緒に仕事していくことができない、と言ってしまいましたw
一瞬の静寂のあとw、まだ直近の販売タイトルもあるから責任放棄せず2月末ではなく3月末にしろ、ということで、特に次の転職先も決めてなかったから最後のご奉公ということで。
営業活動をしつつ、お取引先各位には後任の営業担当と一緒に伺い、退職のご挨拶と引継ぎを。ちなみにこの時同行した営業担当は前回のラブホしかなかった事件の同行者ですw

ありがたいことに、退職のご挨拶をさせていただいたあと複数社からお誘いのお声がけをいただけ、無事転職先も決まったのですが、そのあたりは次回から。

次回、パチプロ、そして謎の新天地